伊達政宗の命を受けて、支倉常長が率いる慶長遣欧使節が約400年前に訪れている場所がスペインの片田舎にある。
何が凄いって、使節団のうち約10人がこの街に残り、その子孫達がハポン(スペイン語で「日本」のこと)という苗字を名乗って、今では約600人のハポンさんがこの街に暮らしているということ!
これって物凄いことだよね!!
当時ここに残った人達は、どんな想いで残ることを決断したんだろうね?
街の名前はコリア デル リオ。
人口3万人の小さな街で、特に観光客が来るような所では無い。
スペインで第4位の人口のセビリアから、ローカルバスで30分で着く。
2013年には慶長遣欧使節400周年を記念して、皇太子も訪れている。
そして今回ここで支倉常長の銅像を見たことは、この前や、世界各地でマゼラン像を見たこと以上の感動ものだったかな(^^)
ところで支倉常長って、仙台や宮城県の人は結構知ってると思うけど、それ以外の地域の人への知名度ってどのくらいあるんだろうね?( ͡° ͜ʖ ͡°)
真実は定かでは無いが、江戸幕府が出来たあとでも、まだ伊達政宗がスペインと組んで倒幕を狙っていて支倉常長を派遣した、という説もある。(諸説あり)
また使節の船の名前は、サンファンバウチスタ号といい、コリアデルリオの街のにも同じ名前の教会があった!(地図で検索したら、スペイン各地によくある名前のようだったけどね)
ちなみに復元された船は、現在も石巻の「宮城県慶長使節船ミュージアム」(愛称:サン・ファン館に展示されている。
スペインの片田舎に、こんなにも宮城県と関わりがある街があるというのは、少しでも歴史を知っている仙台人にとっては超感動ものだね(^^)
ヨーロッパに来て、ローマ時代の遺跡とか、今でも残ってる中世の街並みとかで歴史を感じることはあるけど、今回のことと比べると、正直言って自分と関係無いっていうか、他人事な部分があるから、そこまで強く歴史を感じるということは無いよね(^_^;)
まあ別に比べる必要は無いんだけどね(^^)
あともしスペイン語が出来れば、街でハポンさんを見つけて話したり、一緒に写真を撮ったりしたかったね(^^)
人が沢山いたバルに行ったけど、残念ながらこれ↑は出来なかった(^_^;)
↑ハポン性の人は、人口3万人の内の約600人とのことなので、50人に1人ってことか。
↑バルの中にいた可能性も充分にあったね!?(^^)
ピースボートで時々?、ここからまあまあ近いマラガという都市に寄港してるから、もしハポンさんと交流するプログラムなんかがあったら良いなと思ったりもした。(もしかしたら既にある?)
まあ大多数の人は、アルハンブラ宮殿に行くんだろうけど(^^)
ちなみに今回アルハンブラ宮殿は、行かないことにした。
理由は、写真を見てもあんまり惹かれなかったのと、予約が1ヶ月以上先まで埋まってたから∑(゚Д゚)
もちろん写真より実物の方がずっと良いだろうし、早朝から並べば当日券も取れるっぽいけどね(^^)
ってわけで、慶長遣欧使節や支倉常長のことを知っている人、特に宮城県の人で歴史を感じたい人にはコリア デル リオは超オススメスポットです(^^)
もちろん宮城県に関係無い日本人でも、ヨーロッパで最も歴史を感じることが出来る場所の1つだと思います(^^)
今後自分は、仙台銘菓「支倉焼き」を食べるたびに、この街のことを思い出すことになるんだろうなと思った( ͡° ͜ʖ ͡°)
↓コリア デル リオの街の写真
↓なぜかフランスとアメリカ関連の名前の店も隣同士であった(笑)
*明日3/27に、スペインからフェリーでモロッコに行く予定(^^)
●追記1 この翌月にはキューバでも支倉常長像を見ることになる↓
【キューバ2日目。4/12。ハバナ散策で、またもや支倉常長像、ゲバラ、激安キューバの物価など】
●追記2
facebookでこの記事を書いてすぐに、最近ここのことをテレビで放送してたことを知った(^^)
それはたった2日前の3/24日に放送の「ニッポンどうでしょう?」という番組。
早速YouTubeでも見つけた↓(^^)
https://m.youtube.com/watch?v=fh-nbPjbA_Q
58分頃からです(^^)
まあここのことは何度かテレビで取り上げてて、自分も何年か前にテレビで見たのが最初に知ったきっかけだと思うけど(^^)
でもこの前の十字架の丘に続いてタイムリー過ぎて、さすが俺だと思った( ͡° ͜ʖ ͡°)
【※追記】
↓2018年11月17日に放送されたテレビ朝日系列の『陸海空 地球征服するなんて』でもコリアデルリオのことが取り上げられました。