2010年11月9日(火)晴れ

香港、ベトナム、シンガポールに続いて、4ヶ国目のスリランカに着く日。

着岸と日の出を見るために、5時50分ころ起床。

3時間も寝ていないが、今まで見た中で一番綺麗かもしれない日の出を見ることが出来た。

スリランカ

6時頃、コロンボという港町に着岸した。

下船可能の放送が入るまでは、大抵いつも着岸から大体40分から50分くらいかかる。

自分は今回もオプショナルツアーはとらずにフリーで行動した。

誰と行くかも今朝まで決めてなかったが、海に行くという人達がいたので急遽一緒に行くことにした。

今回は7人で行動した。

その内の一人はGETの英語の先生だったので、スリランカという慣れない土地ということもありかなり心強かった。

7時20分ころ下船して、まずコロンボの港の辺りをぶらぶらと歩く。

タクシーやトゥクトゥクと呼ばれる3輪タクシーの客引きが物凄い!

かなりの人数が、断っても何度も何度も声をかけてくるし、追いかけて付いてくる。

物凄い商売根性だと思った。

スリランカの人は、見た感じはインドの人達と外見が似てると思った。

まず寺院や街並みを少し見て、まだ朝食を食べてなかったので、現地のファーストフードのようなお店に入ってみた。

サモサやRollsという物を食べてみた。

物凄く辛いものもあって驚いたが、味はなかなかいけた。

近くの駅まで行き、電車でNEGOMBOというビーチがあるところに行くことにした。

電車は30円くらいで乗れるようだ!

安すぎる!

でもビーチサンダルは、普通に1000円とかするようだった。

日本人だから、ふっかけられてたのかな。

スリランカの電車は、驚いたことに、走っている間もずっとドアが開きっぱなしだった。

なので、景色を見ているだけでも通常よりも面白かった!

ただこれが、あとから大事件!?に繋がることに・・・

スリランカ

ちなみに電車からの風景は、かなり田舎を通ったりあまり生活水準が高くないだろうなという家々を通ったりした。

でも電車から、歩いてる人に声をかけると皆笑顔で挨拶を返してくれるのが嬉しかった。

ところでさっきの大事件とは何かというと、電車のドアが常に空いているので、電車の外に体を出して写真を撮ったりしてたら、ついデジカメを手から落としてしまった。

しかも電車のドアが常に空いているので、デジカメが電車から外に落ちてしまったw(゚ロ゚)w

しかし電車は1分もしないで次の駅に着いて停止したので、電車から降りてデジカメを取りに行くことにした。

現地の人達も一緒になってカメラを探してくれて、5分くらいしてカメラを見つけることが出来た。

カメラは、落とした衝撃で少し壊れてしまい、完全な動作は出来なくなってしまったが、見つかっただけでも良かったし、何より現地の人達が協力してくれたのが嬉しかった。

駅に戻り次の電車が来る時間を聞いたら、あと1時間半くらいかかるということだったので、トゥクトゥクで海に向かうことにした。

トゥクトゥクは運転がかなり荒いし狭いしで、まるでジェットコースターなどのアトラクションに乗ってるようで楽しかった。

お昼前にビーチに着いて、まずレストランで食事をとることにした。

メニューがよくわからなくて、量が多すぎたり、辛すぎるものもあったが、全体的には美味しい食事だった。

昼食後は、ビーチへ行った。

現地の若者が沢山いて、マジックを見せたり、空中でアームレスリング対決をして交流した。

言葉は、お互いに片言の英語だったので、意思疎通が上手くいかなくてもどかしいことも多々あったが、彼らはとてもフレンドリーですぐに仲良くなることが出来た。

スリランカ

スリランカ

そして日本に強い興味を持ってきて、色々と質問をしてくる。

またスリランカについてどう思うか?などとも質問されたりもした。

正直言ってスリランカに関することは、日本にいる間はまったくと言っていいほど何も知らなかったので、着く前にもっと色々なことを調べておけば良かったかなとも思った。

また彼らは日本に興味は持っているが、金銭的なことからも日本などの外国に行くことはそう簡単には出来ないと言っていた。

日本では仕事さえ選ばなければ、いくらでも職はあるし、ちょっと頑張ってお金を貯めれば、ほとんど誰でも自分のように世界を船で一周することも出来る。

日本は、本当に恵まれている国だと思うが、ほとんどの人達はそのことにまったく気がついていないのではないかと思った。

帰り際に、彼らのバイクに乗せてもらったりもした。

海は正直言ってあまり綺麗ではなかったので、自分達の中で一人しか海に入らなかったのだが、それでも充分楽しい体験が出来て良かった。

15時40分ころトゥクトゥクでNEGOMBOの駅に戻ったが、電車が遅れているようで1時間くらい街を見たり、買い物をしたりした。

16時50分ころ、電車が来て最初に乗った駅に向かった。

しかし電車で、またまた大事件?が発生した。

さすがに今回はデジカメは落とさなかったが、途中、電車とバイクの交通事故があったようで、電車はしばらく立ち往生していた。

帰船リミットが20時なのだが、電車は1時間くらい経っても動く気配が無く、もしかしたら間に合わないんじゃないかという不安も出てきた。

電車を降りてタクシーで帰る方が良いのかもしれないが、一緒に電車に乗っている現地の人の話だと、もうそろそろ電車は復旧するだろうし、タクシーは渋滞で遅くなるから、このまま電車に乗ってる方が良いよ、と言っている。

念の為に、船の緊急連絡先というところに電話で状況を連絡しておいた。

帰船リミットが20時で、出航予定時間が21時なので、ホンの少しくらいなら遅れても大丈夫かもしれないが、最悪の場合は、次の寄港地で合流することになるとのこと。

ちなみに次の寄港地は・・・・約10日後に着くエジプト! かなり遠いし日数も大分ある(^_^;)

もしそうなったら、まずインドに行って、それからトルコに行って・・・・などと半分?冗談で話をしたりもしたが、実際にそうなったらかなり大変だなとは思った。

でもこの電車の事故で、バイクに乗っていた人は残念ながら亡くなってしまったようで、死ぬことと比べれば船から1週間くらい離れていることくらいは、どうでもないことだなと思ったりもした。

しばらくして電車は無事に動きだし、駅に着いてからダッシュで船に向かい、結局、船には帰船リミットぴったりの20時に戻ることが出来た。

夕食時や、夕食後は他の人達とスリランカでの出来事を話し合ったりした。

あとフリースペースで日記を書いたり、ちょっとうたた寝をしたり、マジックをして遊んだりして過ごした。

今日は、デジカメ落下事件や電車立ち往生事件という大きな出来事もあり、命についてちょっと考えさせれることがあったりもしたが、現地の若者達と交流出来たのは最高に楽しい出来事だった。

次の寄港地は、10日後のエジプト。

その前にスエズ運河を通ったり、洋上大運動会があったりする。

※↓2013年7月14日 追記

なぜこの日、自分達に対してスリランカの人が優しくしてくれたり、ビーチで会った若者が日本に強い興味をもって色々な質問をしてきたのか? という理由の一つがわかった。

それは、「スリジャヤワルダナプラコッテ、日本はスリランカに救われた!?」という記事に書いたので、それも添付↓しておく。

「スリジャヤワルダナプラコッテ」という言葉を聞いて、何のことかをわかる人ってどのくらいいるだろう?

ちなみにこれは、スリランカの首都名。

外国の都市や海外に詳しい人なら、おそらく知ってる人もいるかな。

都市名がかなり長いので、自分の周りでもこの名前を憶えている人は何人かいる。

自分は小学生の頃になぜか色々な国の首都を覚えるのが好きだったので、長くて印象的だったこの都市名はその頃から覚えていた。

そして71回クルーズでスリランカを訪れた時に、現地の人と仲良くなって海で一緒に遊んだりして、とても楽しい思い出になっていた。

彼らは自分達にたいしてとてもフレンドリーだったし、また電車からカメラを落としてしまって、カメラが行方不明になった時にも現地の人達が一緒になって探してくれて、スリランカの人達は優しい人が多いなと思っていた。

そして昨日のテレビ「世界ふしぎ発見」でスリランカ特集をやっていて自分の中で、「点と点が繋がったようなこと」があった。

経緯としてまず、太平洋戦争の時に日本はスリランカを攻めたことがある。

そして戦後、米国サンフランシスコ講和会議で日本の賠償責任を問われたり、日本の独立を認めるかどうかを議論する場があった。

日本の独立を認めずに、日本をアメリカ、ロシア、イギリス、中国の4ヶ国で分割し統治するという案も出されていたり、各国から莫大な賠償請求を求められていた。

日本に厳しい意見が多く寄せられるが、しかし当時スリランカを代表した人物だけは違っていた。

彼は
「日本の掲げた理想に独立を望むアジアの人々が共感を覚えたことを忘れないで欲しい。 憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む」

と語った。

日本とスリランカは同じ仏教が根付いている国同士なので、仏陀の言葉を引用して、セイロン(現スリランカ)は日本に対する賠償請求を放棄する旨の演説を行って各国の賛同を得、日本が国際社会に復帰できる道筋を作ったそうだ。

彼の名前は、ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ。

もし彼の発言がなければ、日本は独立していなかった可能性も充分にありえたそうだ。

彼は後に、スリランカ第2代大統領になり、1977年にはスリランカ建国に貢献した。

姓のジャヤワルダナは「勝利をもたらす」を意味するんだそうだ。

そして1983年にスリランカの首都をコロンボから古都コッテへ遷都するに当たり、コッテがかつてジャヤワルダナと呼ばれていたことに加え、彼自身の姓をも絡めてスリジャヤワルダナプラコッテ(輝ける勝利をもたらす町・コッテ)と改称の上、遷都させたんだそうだ。

彼はその後も日本とスリランカの交流に尽力した。

1996年死去に際し、彼は角膜を提供すると言ったそうだ。 

しかも死後もスリランカと日本の両国を見ていたいので、「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」との遺言により、実際に片目は日本に贈られ角膜移植されたとのこと。

元々スリランカの人達は太平洋戦争の前から、同じ仏教が浸透している国として日本に対して良い印象を持っていたそうだ。

このような出来事があったことは、スリランカや他の国の人達はこのことを知っているそうだが、逆にほとんどの日本人が知らないっていうのはおかしな話だね。

こういうことがあったからこそ、自分がスリランカに行った時に現地の人が優しくしてくれたり、そして日本に強い興味を持っているから、色々な質問をしてきたんだろうね。

そして「スリランカについてどう思うか?」などとも質問されたりもしたが、当時自分は↑ジャヤワルダナのことなどをまったく知らなかったし、スリランカに対してほぼ何もイメージが無くて、まともなことを答えられなかった。

もしあの時、ジャヤワルダナのことを知っていて、そのことを話せば更に仲良くなれていて、相手にも喜んでもらえたかもしれないね。

この記事で最初の方に書いた「点と点が繋がったようなこと」というのは、↓こういうこと。

小学生の頃にスリジャヤワルダナプラコッテの名前を、ただ長くて面白いという理由だけで覚えていた。

実際にスリランカに行ったら、現地の人がフレンドリーで良くしてくれたし、日本にたいして強い興味を持っていて色々と質問をされた。

↑この理由が、実はジャヤワルダナの功績にも大きく関わっている、ということ。

そしてジャヤワルダナが、スリジャヤワルダナプラコッテの名前と関わっている。

ということね!

なんか点と点と点が繋がって一周して円になっていう感じかもね。

もしくはONE PIECEの伏線が、全て繋がったような感じか!?(^^)

どっちにしろ面白い出来事だった。

ちなみに他の国でも、親日国家として知られているトルコと日本の友好関係をあらわす出来事として

「エルトゥールル号事件」や、「イラン・イラク戦争時のトルコ航空による邦人救出劇」

などがあるが、これらのことを知らない日本人は沢山いるだろうね。

このトルコとのことやスリランカとのことなどは、もっと学校教育とかでも教えれば良いと思う。

それと今後、実際にこういう国に行く人は、これらのことを知っておく方が良いと思います。

これらの国に関わらず、どんな国や場所に行くにしても、あらかじめその土地のことや歴史のことを知っておく方が良いだろうね。

あえて何も知らない状態で行く、という楽しみ方もあるけど、最低限のことは知っておく方が絶対に良いかと思う。