2010年10月25日(月) 曇り時々晴れ。

昨晩、仙台駅から高速バスに乗り、今朝早く横浜に着いた。

横浜の大桟橋での集合時間は13時なので、コンビニや本屋などで時間まで過ごす。

12時過ぎに横浜駅からバスに乗り、大桟橋を目指す。

ちなみにバス停で待っている時に大きな荷物を持った人がいたので、もしかしたらと思って声をかけたら、やはりピースボートに乗る人だった。

今回の旅で、一番最初に話をした人になった!

バスは12時30分前には大桟橋に着いた。

出国手続きは、飛行機よりもずっと楽なようだった。

我々が乗るオセアニック号は、

全長238.4メートル 
総トン数38,772トン
全幅29.4メートル

という巨大な船。

何人か知っている顔のスタッフもいる。

アジア系のスタッフが部屋まで案内してくれた。

たどり着いた部屋は、B46。

部屋の中には既に2人がいた。 

今回自分は、もっとも費用が安い3人~4人部屋を選んでいたので、これからの約3ヶ月間を一緒に過ごす同部屋のメンバーである。

部屋の中には、あらかじめ郵送しておいた大きなダンボールがいくつも置いてあり、狭く感じた。

自分の場合は、大小1個ずつのダンボールをあらかじめ郵送しておいた。

ダンボールにはそれぞれ郵送した人の名前が書かれている。

その名前を見ると、今部屋にいる3人の名前しかないので、どうやら4人部屋を3人で広く使えるようでラッキーだと思った。

しかし次の瞬間、部屋のドアが開きまた新しい人が入ってきた。

別の部屋の人が間違えて入ってきたのかな?と思ったら、そうではなくB46の4人目のメンバーだった。

彼は事前の荷物の郵送を全くせずに、全て手持ちで荷物を持ってきていたので、ダンボールに名前が無かったようだ。

これで部屋の4人が揃った。

皆20代後半~30代半ばくらいで同じような世代だが、住んでいる地域は仙台、東京、鳥取、福岡とバラバラである。

部屋は元々家族向けに作られているようで、4つのベッドのサイズがまったく違っていた。

ベッドは、1ヶ月ごとのローテーションで使おうということになり、最初の1ヶ月目にどうするかはジャンケンで決めた。

自分は2段ベッドの上のベッドを使うことになった。

昼食をとることが出来るという話を聞き、とりあえず最低限の荷物の整理だけを行ない6階の食堂へ移動する。

昼食はビュッフェスタイル(バイキング形式)だった。

事前の情報だと船のなかの料理はイマイチらしい、という話も見聞きしたこともあるが、味はまあ普通にいけた! 

元々自分は食べ物の好き嫌いが無いので、大丈夫だろうとは思っていたけどね。

昼食の時、以前70回クルーズ出航後の交流会で会っている人達何人かと再会した。

ピースボートには一人参加の人が多いので、少しでも顔見知りの人がいるのは、なんか心強い感じがした。

昼食後は、荷物の整理のため再び部屋へ。

B46は4階にあり、乗客が泊まる部屋の中で最も下の階だった。

荷物の整理をしていたら、船内放送が入り14時45分から出航式が始まるとのことで、デッキへ出る。

デッキは既に沢山の人であふれかえっている。

人が多くて桟橋を見やすいベストポジションを取れなかったので、今後船に乗る人は出航式の時は早めにデッキに出ておくと良いだろう。

デッキでは、もちろん殆どの人と初めましてだが、数少ない知り合いで出発3日前に初めて会ったばかりの同じ仙台の人と会うことが出来た。

更に彼女の友達と話したりして、友達の輪がどんどん広がっていく。

色々な人達と一緒に写真を撮る。(帰国後に出航式の写真を見直すと、当時はどこの誰かわからなかったけど、一緒に写真を撮っていたんだね~と懐かしい感じになるのが面白かった。)

乗客にはシャンパンやジュースが配られる。

月曜日なのに桟橋には沢山の人が見送りに来ていて、沢山の横断幕もある。

「航海しなければ航海する」と、上手いことが書かれている横断幕も見える。

また以前見送った時にもあったが、やはり漫画ワンピースに出てくる海賊旗も見える。

そして色とりどりの紙テープが飛び交っている。

出航式のセレモニーが着々と進んでいる。

船からは「いってきま~す!」、桟橋からは「いってらっしゃ~い!」の大合唱が交互に行われる。

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以前この光景を見た時は見送る側だった。

それでも感動的な光景だったが、ついに自分が見送られる側になったのだと思うと、感慨深いものがある。

汽笛がなり、船がゆっくりと進みだす。

船と陸を繋いでいた紙テープが少しずつ切れていく。

「いってきま~す!」 「いってらっしゃ~い!」 の大合唱が続く。

この時、今までずっと曇っていた空から陽が射しだし、出航式をさらに盛り上げてくれる。

少しずつ陸が離れていく。

桟橋の人達が船を追いかけて、桟橋の奥の方に移動してくる。

船は方向転換し、ベイブリッジの方へゆっくりと進んでいく。

桟橋の人がどんどん小さくなり、声が聞こえなくなってくる。

まだ携帯電話の電波が通じるので、桟橋の人や家にいる家族の人達と電話で話をしている人が何人もいた。

感動から涙を流す人達もいる。

ボランティアスタッフ(詳しくは近々の日記で書きます)として船に乗るために必死に頑張った人もいれば、定年後の世界一周を長年楽しみにしていた人など、全ての乗客それぞれの人に船に乗るまでのドラマがあるのだろう。

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ベイブリッジの下をくぐって前方に目印がなくなり、いよいよ船は大海原へ向けて進みだす。

デッキに出ていた人たちは、徐々に船内に入り始める。

自分は少し船内を見て周ってから再び部屋に戻り、片付けを再開した。

17時ころからは「船内案内ツアー」というものに参加した。

船内の各施設の紹介や、何階にどのような施設があるという説明を聞く。

広すぎて一度聞いただけでは覚えられないが、少しずつ覚えていくだろう。

階数の頭文字の意味や、部屋の数字のことも教わった。

自分の部屋のB46の「B」は、BAHAMAデッキのBのことで、4階のことを表しているそうだ。

例えば5階は、ATLANTICデッキのAとなり、6階ならRESTAURANTデッキのRとなるそうだ。

11階までそれぞれ何らかの名前のアルファベットの頭文字がついているそうだ。

また部屋の数字は、数が小さいほど船の前方で、大きいほど船の後方に位置するそうだ。

そして偶数は船の左舷側、奇数は船の右舷側ということなどを教わった。

最初の頃は、この法則を知らないで船内で迷子になり、なかなか自分の部屋に戻ることが出来ない人が続出していたようだった。

19時30分からは夕食へ。船長によるウェルカムパーティーは明日開催されるようで、今日は通常の食事だった。

昼食に続き、なかなか美味しかった。

同じ席になった人達は、年代も性別も地域も皆バラバラだった。

自分は名刺を持ってきていたので、皆に渡し何人かとは名刺交換をした。

今後船に乗る人は、名刺を沢山持って行くことをお勧めする。

ちなみに名刺はピースボートのための手作りのものでも何でも良いと思う。

20時45分からは、ブロードウェイラウンジという船内で最も多くの人が収容可能なラウンジで、出航記念トークイベント「そうだったのかピースボート」というイベントが開催された。

ピースボートのスタッフや水先案内人と呼ばれる著名人が、ピースボートの歴史などを紹介していた。

ピースボートは誕生から28年目で、第1回クルーズは12日間のみの航海で、航路は横浜、小笠原、硫黄島、グアム、サイパンというものだったそうだ。

その時の乗客は159人。

そして今回の71回クルーズの乗客数は、約700人とのこと。

年代は幅広く、下は16歳から上は90歳までいるそうだ。

以前ピースボートの説明会や本で見た情報だと、60歳以上の方が4割、30歳以下の人が4割、残りの2割がその間の世代となり、男女比は男性が3~4割、女性が6~7割ということだったが、パッと見た感じでは、今回も大体そのような比率になっているように思う。

またピースボートが今のように世界一周クルーズを行ったのは、第10回の記念クルーズが一番最初だったそうだ。

その後、第24回クルーズから今のように連続で世界一周するような形になったようだ。

今は年に3~4回の世界一周クルーズが出ている。

他にもピースボートに関する話を沢山聞いて楽しい時間を過ごした。

22時30分からは、スターライトラウンジという船内で2番目に大きなラウンジで、「オセアニックパーティー」が開催された。

ここはお酒を飲むことも出来るラウンジなので、多くの人がお酒を飲みながらパーティーを楽しんでいた。

パーティーでは、まずスタッフ達の歓迎のダンスがいくつか披露された。

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ひょっこりひょうたん島や、マイケルジャクソンのスリラーなど、完成度の高いダンスだった。

後半もノリが良い音楽がかかり、乗客達で踊る人も沢山いてクラブのような状態になっていた。

さっきのダンスの時もこの時もスタッフの人達の芸達者ぶりが凄いなと思った。

自分も初めて会った人達と話したり、踊ったりして楽しい時を過ごす。

夜遅くまでやっていて、いつ終わるのかわからなかったが、自分は26時ころ部屋に戻り寝ることにした。

長い初日が終了し、いよいよ86日間の地球一周の船旅が始まった!

今日はいくつかのイベントがあったが、やはりなんといっても出航式が特に良かった。

また最後のオセアニックパーティーがエンドレスだったので、初日から皆凄いなと思った。

出航式は自分の場合は、感動というよりもワクワクや楽しみという感覚が強かったかな。

これから先の寄港地や船内での出会いなど、本当に楽しみである。

(2011年2月6日記述)